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「御召」という言葉に聞き慣れない方もおられると思います。
御召の歴史と、御召の種類をご紹介します。
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16世紀の後半の天正年間(1573~1591)に、中国より撚糸技術が伝えられたことに始ります。
当時わが国は鎖国の最中でしたが、泉州の堺港より外国文化を取り入れており、明の織工がやってきて縮緬の技法を伝えました。
こうして国産の堺縮緬が誕生しましたが、その後の国策でその技術が京都西陣の織部司へ移され、国産西陣織での御召へと発展します。
天保年間(1681~1684)には、織筋の入った先練の柳条縮緬の名の元に優雅さと着心地のよさで多くの人に愛好され、元禄年間(1688~1704)頃には西陣で7000台を越す手機が織られていました。この歴史的背景には 明暦3年(1657年)に起こった江戸全域を焼き払った大火(後に振袖火災と呼ばれ、10万人の焼死者を出した火災)の後、度重ねて出された奢侈禁止例がありました。
「柳条縮緬」はその最中に生まれ、渋いながらも多様な縞柄の変化があり男物着物として好まれましたが、その奥深い美しさが粋と映ったのかもしれません。そして天明三年(1783)には、撚糸技術も機械化(水車を使った革命的なもの)されました。そしてその「柳条縮緬」をさらに人気商品としたのが徳川十一代将軍家斎公 (在位1787~1837)でした。
粋と渋さをほどよく併せさらに斬新な美しさを持った「御召」に惚れ込み、御召料として「留柄」[納戸(濃い浅黄色)に白の万筋 二分隔て横筋の入った格子柄]を創り他の人が着ることを禁じる程でした。これほどに将軍様が御召になったことから「御召」という名が広がったのです。
近年では西陣でも昭和40年前後の最盛期には年間に約130万反生産していました。しかし、世の着物離れ、量産・華燭とフォーマル化に走ったことによってバランスを崩し着物愛好家を減らしてしまったことなどにより、今現在は西陣でごく僅かの生産となってしまいました。
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【無地御召】
無地などは紋を入れて立派な礼装(準礼装)に用いられ特に関西では羽二重よりも紋付生地としてよく用いられました。またまだ縮緬が織られていなかった江戸時代や明治の初め頃までは 友禅用の白生地として使われていました。
【絣御召】
御召は細い縦糸を織幅にぎっしりと並べ 縦糸より太い御召ヌキ(横糸)を打ち込みます。目に見える色柄は ほとんど縦糸のみに表現され 横糸の御召糸はデザインを表面には見えません。決めたら縦糸を その色数分 本数毎に何度も糸を括っては染め分ける作業を繰り返します。中でも矢絣は永遠の憧れの柄です。
【縞御召】
無数の組み合わせのある縞柄。色や太さによって優しくも粋にもなりその人なりの着こなしを楽しめます。塩野屋では、横糸に少しつむぎ糸を織り込んでカジュアルな感じにした「上代縞」などの生地も織っています。
【風通御召】
薄い生地を2枚重ねた様な織り方で風が通るという名の通り糸が交差する点と点の間が袋状になっています。裏と表は色が逆転して出てきますがやはり両方とも表として使えます。とてもハリがあり丈夫です。風通御召織物も今は大変珍しくなってきました。
【夏御召】
別名「夏明石」。より細い糸で織られ、シャッキリとした透け具合の大変美しい織物です。
【御召小物】
御召の特徴を生かして創っています。絣柄等の個性的なものもあります。帯揚、帯締め、草履鼻緒、バッグ類、巾着、名刺入れ、根付け、他。
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