織の道を楽しもう

喜右衛門のひとりごと

[6]人間の進化と退化 2006年05月31日 23:20
[ 喜右衛門のひとりごと]

進化とはダーウィンが唱える環境に左右されて変化するイグアナの世界のことではないと思います。
人間の場合は意思というものが強く進化の過程に影響します。
もちろんイグアナにも意思はありますが、生命の基本的欲求である生存欲求が引き金の
生きる為の進化といえます。人間は人類として次の欲求である所有欲求・差別欲求・創造欲求と
レベルを高度にして、進化を成し遂げた生命だと考えます。

しかしここに来て人類の五感は退化しているようにも見えます。賞味期限の表示を見ないと腐敗しているかどうかも解からなくなったというのも、味覚や臭覚が狂っている証です。
もっとひどく退化したのは、肌の一部や全体で感じる皮膚感覚、触覚でしょう。
なぜこれらの感覚は低下したのでしょうか?

昔の農夫は湿度を肌で感じて明日の天気が解かりました。予報を聞かなくても農夫の肌や指の触感は、天気を感じて予見出来ていました。それはやはり彼らが日頃から自然の根本である本物の土と親しんでいたからだと思います。
江戸時代の職人には、指の先で色を見分けられる人もいたと言います。きっと職人も土と触れる生活をしていたのでしょう。


もちろん人間の全ての感覚が退化した訳ではなく、映像や音楽、芸術などに対する感性はとても豊かに発展しているとも思います。もっとも喜右衛門には最近の音楽はメロディーが急に上がったり下がったり、歌詞も意味不明で付いていけませんが・・。
という事からも、最近の芸術と言うのは、目や耳で感じる感性の範囲のものが多いように言われています。もしかしたら、現代人は目や耳に頼りきり、そこに過度に刺激的な情報が入ってくる為に、その他の感覚が鈍ってしまったのかもしれません。
皮膚感覚など、人類が高度に発展させてきた過程で退化してしまった感覚がたくさんあるのです。

恐竜も高度に進化させた部分があり、相当長い期間地球を支配することは出来ましたが、最終的には植物を食い漁って植物に反抗されたか、天変地異に対応できずに死滅したかどちらかであったと思います。
結局、バランスや対極・中庸が生命には肝要で、それを無くすと滅び去ることになるという事でしょうか。


という事で、現代人に求められているものとは、現代的な「土に触れる生活への回帰」ではないのだろうかという事を痛切に思います。

意志を持ちバランス兼ね備えた人類としての進化を目指し、土から感じる新しいライフスタイルを個性豊かに構築しようではございませんか!

 
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