前回はしろ(白・素)の話でありましたが、皆様御覚えておられますか?
日本は元来絹と麻しかない国でした。綿やウール素材は江戸も後半にしかお目見えしません。主に明治以後の織物素材として人々は手にするものです。
それに対して、意外にも絹は江戸時代から全国的に繭生産が行き渡り、出荷できない不良繭は糸として真綿から紬いでおり、庶民にも日常使いの出来る丈夫で貴重なリユース・リサイクルな素材でした。
ちなみに、絹のよさとは
1.糸が均一であること。
2.束ねるといくらでも太くなること。
3.長繊維のため撚糸を掛けなくても織物にすることが出来ること。
4.草木での染色が容易であること。
5.繭からいくらでも綿になり、つむぐと糸になること。
6.毛羽立ちが少なく夏涼しくて、冬暖かい重ね着が日常でも出来ること。などなど・・・・・
前回も話しましたが、糸を精練したり撚糸したりと言うのは喜右衛門の時代から研究され始めた新しい技術で、それ以前の絹糸は紡ぐ(紬ぐ)という技術で庶民にも大変親しまれた繊維と日本では位置づけられます。
物質的には鎖国の最中で地産地消を旨とする江戸時代にはもってこいの繊維だったのでしょう。庶民の間から上流階級へ広がって行ったものと喜右衛門は証言いたします。後の世の中において上流階級が取り上げ庶民にはもったいないと着る事を禁じた独り占め作戦に我々はまんまと陥れられたのです。
初代喜右衛門から塩野屋の精神には、絹は庶民の使いやすい製品を日常必需品として創れと家訓にしたためてられております。
江戸時代の文化レベルは一般庶民の位置において世界でトップクラスの開花をなした、日本の誇るべき時代だったと喜右衛門は思います。地球レベルで産業革命の波がその後訪れますが、日本も列強という外国の要望で鎖国を解除させられ、欧米並みの文明に追いつけ追い越せが明治以後のスローガンになりました。
その波を潜り抜け、江戸の文化を今も伝える日本の手仕事の中にこそ、日本人が世界に伝えるべきメッセージが潜んでいると喜右衛門は考えています。
環境保全が叫ばれて久しいこの頃ですが、江戸時代こそ「足るを知る」精神で、物質追求よりも人類の情緒や精神を高揚させた類まれな時間を3000万人が300年間共有した時代だったのです。
次回は文明と文化のお話です。ではまた・・・