先のレポートシルクシンポジウムについて、
コメンテーターさんからのお話を一部お伝えいたします。
群馬県桐生市にあるミラノリブさんは、シルクニットを製造されています。
特に、群馬という土地を活かしもうすでに”トレサビリティ”を実現。
年間3800kgもの群馬県産繭を農家さんと直接契約し、
その製品作りをお伝えすることで安心感を与えられ、
楽しんで養蚕をしてもらえているそうです。
併せて製糸は上州座繰り。
こちらもまさにメイド・イン・ジャパンの純国産モノづくりです。
女性社長の笹口さんも、とても優しい方です。(写真一番左)
長野県岡谷市にある宮坂製糸場さんは、今では希少な製糸工場。
「伝統的糸とり技法を守りたい」と、平均年齢72歳という女工さんたちが
座繰り(機械でなく手でひく)製糸をしてくれています。
昔は、機械製糸の糸が均一で美しく優良といわれていたのに、
いまはニーズが多様化、織元や作家さんの要望にあわせて試行錯誤の日々。
とても積極的に「太繊度低張力糸」などにも取り組まれています。
宮坂社長さんは、いつも謙虚でにこやかな方。
「本来なら、カタクラさん(片倉製糸紡績株式会社。関東を代表する製糸所で、世界遺産登録をめざす富岡製糸工場を所有していた)あたりがいらっしゃるところが、
みなさまが辞めてしまわれ、残っているうちの様なところ(小さな)を呼んでいただけて。
でもそれが、現状を象徴されているとも思います」といわれたお言葉が印象的でした。
最後に、会場に座っていた塩野屋スタッフ・石井の着物をご紹介くださいました。
これは昨年の京都産生繭を宮坂さんで糸にしていただき、塩野屋で織り上げたもの。
柔らかな光沢が違うと、評判でした。
(この着物については、きものサロン誌07年春号に壇ふみさんが着用で、
宮坂製糸所さんの取材と共に掲載中。詳細はまた今度お伝えいたします。)
そして、織道楽 塩野屋代表の服部芳和も、お話させていただきました。
そもそも「日本の絹」とは、どこまでの範囲を定めているのか。
食品同様に、ブラジルや中国の繭を仕入れ日本で糸にしても日本産というのでは、
消費者には全く分からないもの。
純国産の繭から考えて”シルク文化”でなく”絹文化”としてをきちんと伝えるべきではないか。
塩野屋では、京都府福知山でたった3軒残った養蚕農家さんと
とりあえず5年間の契約で、新しいモノづくりを始めました。
かつてこの辺りは、関西の代表として郡是(現在のグンゼ)が養蚕をしていた地域でしたが、
いまはった3軒。
それでもそこから京都の養蚕を復活したいというプログラムを考えています。
また、会場からも、様々なご意見が飛びだしました。
*つくり手の文化と、使い手の文化が日常に交流を持っていないと、
相乗効果による進展はない。
*今後の「日本のシルク文化」には、もっと洋服、スカーフ、ネクタイをも含めて考えないと片手落ち。
*和服の流通の流れは距離がありすぎ、見通しが悪いのがネック。
*養蚕農家は、楽しみのないところが多い。養蚕教育も少なすぎたのでは。
などなど・・・
でもとにかく第1回目にして活気があって、
意義のある集まりとなっていたと思います。
今後の展開が楽しみになってきました。
シルクに関しての情報リンク、こちらにもたくさんございます。
⇒ 蚕糸絹業関係リンク集